「是非もなし」は諦めか?信長の最後の言葉「是非に及ばず」の真意

「是非もなし」という言葉を、織田信長が本能寺の変で語った最後の言葉として知っている人は多いでしょう。しかし、最も信頼できる一次史料には「是非もなし」ではなく「是非に及ばず」と記されています。この違いと、その言葉が意味するものを史料から解読します。

「是非もなし」と「是非に及ばず」は別物

まずこの二つを区別しておく必要があります。

「是非もなし」は「仕方がない」「どうしようもない」という意味で日常的に使われる言葉です。一方、「是非に及ばず」は、最も信頼度の高い史料『信長公記』(太田牛一著)に、本能寺の変での信長の発言として記録されている言葉です。

多くのウェブサイトが二つを混同していますが、歴史を論じる上では『信長公記』の「是非に及ばず」を出発点に置く必要があります。

『信長公記』の記述

本能寺が明智光秀の軍勢に急襲された際、信長は最初「下の者共の喧嘩か」と述べました。しかし、森蘭丸から「これは惟任日向守(明智光秀)殿の御謀反と見え申し候」と報告を受けた瞬間、信長は一言「是非に及ばず」とだけ言ったとされています。

なぜ「諦め」ではないのか

「是非に及ばず」が単なる諦めではないとする根拠は、言葉が発せられた直後の信長の行動にあります。

この言葉のあと、信長は自ら弓を取り、最後まで戦い続けました。諦めた人間がとる行動ではありません。

状況を整理すると、信長はこの瞬間に次のことを瞬時に判断していたはずです。

  • 相手は腹心の明智光秀であり、織田家の内情を熟知している
  • 本能寺には少数の手勢しかない
  • 脱出・逆転は不可能

この絶望的な状況下で「是非に及ばず」という言葉は「善悪や理非を議論するまでもない。やるべきことは一つだ」という冷静な決断の宣言と解釈するのが自然です。

「是非に及ばず」の別の使用例

信長はこの言葉を別の場面でも使っています。元亀4年(1573年)、将軍・足利義昭が反旗を翻した際に細川藤孝へ宛てた書状の中で、信長は「是非に及ばず」という表現を「言語道断である」「議論の余地なくけしからん」という強い非難のニュアンスで使っています。

状況相手ニュアンス
本能寺の変(1582年)明智光秀議論の余地なし、応戦せよ
足利義昭との対立(1573年)足利義昭言語道断、議論の余地なし

どちらの文脈でも共通するのは「議論を打ち切り、行動へ移る決断」という点です。「仕方ない」という受け身の意味とは根本的に異なります。

まとめ

  • 信長の最後の言葉は「是非もなし」ではなく、一次史料では「是非に及ばず」
  • この言葉の直後に信長は自ら武器を取り戦い続けた
  • 「是非に及ばず」は「仕方ない」という諦めではなく、「議論の余地なし、応戦する」という決断の言葉と解釈できる
  • 足利義昭への書状でも同じ言葉を非難のニュアンスで使っており、受け身の意味ではないことが裏付けられる
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